小学校高学年になる頃には、我が家の暮らしはますます苦しくなっていました。電気・ガス・水道というライフラインが次々と止まるのが日常で、地域の人も驚くほどの貧乏生活を送っていたんです。
電話が止まる、友達と遊ぶことも難しい
最初に止まったのは固定電話でした。小学生になると友達の家に電話をかけて遊ぶ約束をするのが普通。でも我が家は電話がつながらないので、友達が電話してきても「ゆうきくんの家、つながらないよ?」と言われる始末でした。後に解約することになるし改めて解約していた携帯も滞納してパンクさせて、ブラックリストに登録されてしまうキャリアもありましたね…笑
電気が止まると…街灯の下で本を読む兄妹
次に止まるのは電気。夏は扇風機も回せず熱帯夜にならずに苦しむ夜。冬は暗くなるとやることがないので早く寝るしかありませんでした。
ある日、妹と二人でアパートの前の街灯の下に座り、学校で借りてきた本を読んでいたんです。すると、向かいの民生委員さんの家から出てきた市議会議員(町のポスターにも載っている人)が驚いた様子で声をかけてきました。
「どうしたの? 何してるの?」と聞かれ、
「家の電気が止まってやることないから、本読んでるんです」と答えると、その議員さんはとても驚き、お金を2,000円渡そうとしてくれました。
でも僕たちは「受け取れないです」と断りました。子どもながらにお金を受け取ることへの抵抗があったし、あの時の自分の遠慮がちの気持ちと、市議会議員の方の驚いた顔は今でもはっきり覚えています。
ガス・水道も止まり、日常生活が成り立たない
ガスが止まると、ガスコンロを使ったご飯は食べれないのでレンジで調理するかポットでお湯を沸かしてカップ麺。普段からいい食事が取れていたわけではありませんが、ガスが止まっているという制限された中でのメニューはより、ひもじさを感じましたね。そしてなによりお風呂に入れないのが本当に辛かったです。電子レンジやポットでお湯を作り、水で割っていい温度にしてシャンプーを流したり体を拭いたり…。水道が止まったときはさらに過酷で、お風呂に水をためておいてトイレのタンクに補充しながら使ったり、駅方面のコンビニのトイレまで歩いて行くこともありました。
じいちゃんは止水栓を勝手に開けることもありましたが、最終的には水道局が素人では開けられないよう対策をしてしまいました。(使っちゃダメ🙅笑)
年金だけの収入で暮らす祖父母と私たち兄妹
じいちゃんは定職に就いておらず、ばあちゃんは聴覚障害があって働けません。生活は2か月に1回の年金だけで、4人で月6万円ほどの収入でした。
その中でばあちゃんは、電気・ガス・水道の支払いに困ると、近所のおばさんたちに泣きながらお金を借りに行っていました。借りられるのは5,000円程度。でも次第に返済が追いつかなくなり、ますます状況は悪化していったんです。
当たり前じゃない日常の中で感じたこと
電気も水もガスもあるのが「普通」だと知ったのは、もっと大きくなってから。小学生の頃の僕にとって、ライフラインが止まってしまうのは当たり前でした。
でも、街灯の下で本を読んでいたあの夜。地域の人に驚かれるほど、自分たちが普通じゃない暮らしをしているんだと、子どもながらに感じていました。
この経験は今も自分の中で大きな原点です。苦しい中でも、人の優しさや恥じらいを覚えたあの瞬間を、きっと一生忘れないと思います。
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